あれから10年

昨日は東日本大震災からちょうど10年でした。
あの日僕は東京に出張し、目黒雅叙園であるカンファレンスに参加していました。

「ついに首都直下型地震が来たか!」というのが第一感でした。
会場はざわつき、落ち着くためにカンファレンスはいったん休憩に。
その時に妻に送ったのが上のメールです。
この時点では「予定外の休憩で終わりが伸びるだろうから、
羽田で飲む時間がなくなるかもな」ぐらいにしか思っていませんでした。

10分ほど休憩の後カンファレンスは再開され、15時10分頃再び休憩へ。
休憩中のロビーで「さっきの地震、東北が震源だって!」という声。
東京でこんなに揺れたのだから、東北はもっと激しかったのでは・・・

そう思ってるうちに15時15分頃大きな余震が。
個人的には東京はこちらの方が大きかったように思います。

会場の目黒雅叙園から、外へ避難するよう指示が出ました。
関係者に誘導される形で避難階段を通って外へ。
結局カンファレンスはそのまま再開されることなく打ち切りになりました。

問題はここからです。目黒駅に向かいましたが電車は動いていません。
カンファレンスが打ち切りになったので、19時55分の帰りの飛行機までは時間があります。
とりあえず目黒から品川を目指して歩くことにしました。
品川に着く頃には京急も運行再開しているだろうと思ったのです。

iPodのFMチューナー機能でラジオの特別番組を聞きながら
コンビニで買ったポケット地図を手に山手通りを南下。
しかしラジオから聞こえてくるさまざまな状況からして、
電車の運行再開どころの話ではないような気配です。

そこで品川に向かうのをやめて、山手通りを五反田で右折して蒲田を目指すことに。
蒲田まで行けば羽田空港行きの路線バスがあります。
地図から推測するに歩ける距離で、飛行機も間に合うでしょう。

五反田からの第二京浜では、時間を追うごとに人や車がどんどん増えていきます。
水道管が壊れたのか道路脇から噴水のように水が吹き出てたり、
レンタカー屋さんに人だかりができてたり。
一番異様だったのは、自転車屋さんの店頭にほとんど自転車がない光景でした。

馬込、大森と歩いて蒲田についたのは18時頃。
でも路線バスが走っている気配はありません。
空港まで歩いても飛行機には間に合うので、結局羽田空港まで歩き通しました。
約15km歩いて到着したものの、飛行機は案の定欠航。
街に戻って宿を探すわけにもいかないので、
空港で係員が配ってくれた段ボールと毛布で夜を越すことにしました。

結局家に帰ることができたのは翌日の夜で、この後も放浪が続くのですが、
書き始めるとキリがないほどの記憶が出てきそうです。
10年経ってもこれだけ詳細に時間経過を覚えている出来事は、
後にも先にも東日本大震災しかありません。